どもー。最近体調が悪いです。頭ぐわんぐわんいってますorz
でも、ちゃんとした記事が書けるよう努めるつもりです。 今回は各ブログさんでもあげられているよう、いわゆる原作のTrue ENDです。ほとんど原作に忠実に作られていました。 また、これも各ブログさんで仰られていますが、非常に話が難解です。 かくいう私も、これは原作やってない人は理解できないんでは? と思ってしまいました。 私がやったのは中三の夏、つまりは受験生のときだったのですが……。と、その辺の話はおいおいするとして、実のところ、あまり詳しく原作の話を覚えていないんですね。大まかな流れはもちろんわかるんですが、細かいところ、「あれ? こんなんだっけ?」とか思ってしまっています。 そのため、今回、最終回は、私にとっても、実に理解に苦しむところでした。 そのあたりは、とぼしい記憶を手繰りながら、録画したアニメをみながら、自分なりの見解を書いていくつもりです。もし、的外れな発言があったとして、それは私の意見、ということでご了承ください。 それでは、クラナド最終回、感想です。どうぞ。 明日から明後日にかけてスキーにいってきます。 それなので更新はなくなる……と思います、たぶん。 気が向いたら携帯から、かな。
まず幻想世界から始まります。季節は冬です。そう、冬、です。
前提としてまず置いておかなくてはならないのが、幻想世界では、人形が朋也、少女が汐(町)ということ。 それと、幻想世界での朋也は、辛く悲しいだけの絶望の世界で生きてきた、ということ。 その思いを受け継ぐ冒頭で朋也は、「この町は嫌いだ」といっているわけですね。 (辛く悲しいだけの絶望の世界というのは、ここでいう幻想世界、そして朋也が体験した渚の死、汐の死です) だから朋也は、幻想世界をうっすらと覚えているし、演劇でやった内容もどこかで聞いた覚えがあったんだと思います。 本編のほうは、幻想世界と、坂の下の話が混同で進められていくわけですが、 幻想世界の朋也と坂の下での朋也。 「こんなことになるなら」 「出会わなければよかった」 二つの思いは同じです。 そして幻想世界の朋也のいってる言葉は、まるきり前回、21話のラストの内容に当てはまります。 この幻想世界のシーンは、21話の続き、なのではないでしょうか? それを、少女の言葉が証言してくれています。 「ずっと昔」 それが、あの21話。 そして、「今も」 それは、今、坂の下にいる朋也のことだと思います。 「二つの世界に存在している」という言葉が、それを表してくれています。 一度旅を終えてしまった朋也が、幻想世界の少女に導かれ、坂の下へと戻れるわけですね。 それというのも、あの朋也が、あの世界でいろいろなことを頑張り、光の玉を集めたからにほかなりません。 その朋也である人形に、少女はいう。 「さよなら、パパ」 そう、朋也はこの世界のパパであり、少女のパパでもある、ということ。 それは同時に、少女が汐であり、町の思いの塊である集合体だともとれます。 幻想世界の冬は終わり、春が訪れます。 そうして、朋也の意識は、坂の下へと戻ります。 振り返り、立ち去っていく渚。 朋也は、過去の後悔から、声をかけていいのか悩んでいたものの、少女の言葉が鍵となって、決意を固めるのです。 「渚、俺はここにいるぞっ!」 朋也は渚を呼び止め、抱きつきます。 渚は、ほっと安堵したような表情を浮かべ、 「よかったです。声、かけてもらえて」 「私、朋也くんと出会えてよかったです。とても幸せでした」 「だからどうか、もう迷わないでください」 「これから先、なにが待っていようとも、私と出会えたこと、後悔しないでください」 こ、この辺やばす……orz ここで、渚の後押しをもらいます。 そして、渚の最後の手助け。 ようやっと朋也は、最後の一歩を踏み出すわけです。 「お連れしましょうか? この町の、願いが叶う場所に」 「ああ……今終わる。長い、長い旅が……」 渚の導きで、再び場面が変わります。 そこは、あの出産のシーンでした。そう、朋也のすべてが狂ってしまった場面です。 あの場面に戻り、俯く朋也。 しかし、今度は死んで終わり、ではなく。 朋也の後悔が、町の思いが、幻想世界での少女の導きが。 すべてが一体となり、大きな「なにか」となり、渚が生かされます。 それは、窓の外に浮かぶ、光の玉が入り乱れる光景に現れています。 それは、町全体が幸せだということ。 ひいては、朋也、渚が幸せだということ。 そして、町の思いである汐が幸せだということです。 さて、その後に入るのはその後の家族の様子。 二人して汐をあやす場面なんかはマジぼろ泣きもんですねw さて、ここで、CLANNAD最大のテーマが登場します。 もし、町というものに、人と同じように意思や心があるとして、 そして、そこに住む人たちを幸せにしようって、そんな思いでいるとしたら、 こんな奇跡も、町の仕業かもしれないです。 でもそれは、奇跡じゃないですよね。 町を大好きな人が町に住み、人を好きな町が人を愛する。 それは、どこにでもある、当たり前のことのはずです。 私たちは町を愛して、町に育まれているんです。 町は大きな家族―― 団子大家族―― ――俺にもやっとわかった気がする。 町、そしてそこに住む家族。 互いが互いを愛し、育みあう関係。 そんな人々と町が織り成した一つの奇跡。渚を生かした、奇跡です。 それが、CLANNADというゲームのテーマであり、一連の物語だった、というわけです。 しかしやはり、挿入歌として使用された「小さなてのひら」。 このアフターのシーンの連続はもはや涙腺崩壊ものですね~。 杏とか椋とか(期待してた勝平は残念ながら出番なしですがw)、智代とか春原とかことみとか(ことみは吹いたww)。 いつもの風景の広がる、いつもの町へ戻っていったわけです。 最後の風子と公子のシーン。 ギャグは相変わらず面白かったですねw でも原作ではそんなに思わなかったけど、アニメだと少々間延びしすぎだと思いましたね。 もう少し早く進めても良かったかも。あれだとテンポが悪くなりますよね(まあ、尺の問題もあるんだろうけど)。 風子が覚えていた、汐の匂い。 それは、町の匂い、そして、幻想世界から抜け出した少女の匂いでした。 その証拠に、一瞬映る布の切れ端と足は幻想世界の少女のものですしね。 そしてED。 列の先頭には、なんと風子と汐がっ! かわええww そして、ロゴには「終」の一文字。 いい締めくくり方でした。 第22話「小さな手のひら」Fin Next 番外編(第23話)「一年前の出来事」 さて、これにてCLANNADという物語に終止符が打たれたわけですが。 この最終回は、ほとんどの方が仰るよう、賛否両論だと思います。 おそらく、アニメから見てるかたは頭にクエスチョンマークがつくと思われます。 その辺はもう、原作をやれ、としかいいようがありませんorz 賛否両論、と書きましたが、私はもちろん賛成派ですw 最後になりますが、CLANNADという素晴らしい作品を世に送り出したkeyブランド、ならびにビジュアルアーツのみなさま、本当にありがとうございます。 この作品は、私の人生の価値観がまるきり変わってしまった作品でもあり、私という人間が構成された作品でもあります。それほどの影響力を、この作品は持っていました。 あのときの私を変えてくれて、本当に感謝しています。 そして、この素晴らしき作品を映像化した京都アニメーションの方々、お疲れ様です。 しばらくはグッズ販売などで多忙でしょうが、めげずに頑張ってください(というかあと2話残ってますがw)。 個人的には智代アフターをアニメ化していただければ嬉しい限りなんですが。もち非エロで。 リトバスは……私はアニメにするには難しすぎると思うのでorz CLANNADは人生 このフレーズをよく目にする方がいらっしゃるかと思います。 まさに、その通りです。CLANNADの、その意味そのものです。 上記した通り、私の人生の転機そのものでもありました。 だからこそ、私は思います。 この作品に出会えてよかった、と。 ゲームとか、そういうものの枠を越えた作品、CLANNAD。 もう一度いいます。 この作品に出会えてよかった! スポンサーサイト
テーマ:CLANNAD -AFTER STORY- - ジャンル:アニメ・コミック |
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